Sepulcra Romana 【ローマ時代のお墓】
Ave Quiriti ! 皆さんこんにちは!
前回は文献に記される皇帝の名前についてでした。文献だけではなく、コインにも皇帝の名前が書かれていました。
次の硬貨をご覧ください。真ん中は皇帝の肖像で、その周りは名前です。
読めますか?
前回もその皇帝が出てきました。。。
お盆が近づいてきますね。今日のテーマはお墓です!
ちょっと暗いですが、ローマ時代のお墓は結構楽しいと思います。
現代の墓地は生きている人から離れたところに隠れていますが、ローマ時代はみんなに見られるように道沿いなどに建てられていました。ローマに行ったら、是非アッピア街道を歩いてみて下さい。昔生きていたローマ人と触れ合えるかもしれません!
ローマ人は紀元前2世紀まで埋葬していたんです。それ以降、火葬のほうが普通になったんですが、火葬を禁ずるキリスト教の影響でまた埋葬になりました。
では、ローマ人は石碑などに何をかいていたのでしょうか。
ローマ共和国の時は名前だけでわりとシンプルでした。そして、亡くなった年や職業など少しずつ情報が増えて、時々長い文章になります。
Augustusの時代から、お墓の意味が大分代わります。思い出すための石だけではなく、宗教的なモニュメントで小型神殿のように成ります。そこから、新しい碑文が現れます。まずManibus、そしてDiis Manibus又はDiis manibus sacrum、それはDM又はDMSで省略されています。「マネス神のために」という意味があります。
マネス神は亡くなった家族の人の魂でした。2月13日から21日までのParentalia・パレンタリアはローマ人のお盆でした。その期間、各家族は祖先のお墓に参りました。
3世紀から少しずつキリスト教が強くなってそういう碑文がなくなります。代わりにアルファとオメガ、お魚や錨、羊飼い、十字架などが刻まれています。
では問題です。次のローマのお墓を時代が古い順に並べてみましょう。
答えは下にあります。
ではまた今度!
Salve !
Zélia
答え
D-B-A-Cの順でした!